僕は高校生の頃からゴムボートフィッシングにのめり込み、気づけば15年以上、単純な釣り歴だけなら20年以上、魚たちと向き合ってきました。これだけ長く釣りをしていると、時代とともに釣り場の環境や人々の価値観が変わっていくのを肌で感じます。
最近、僕のYouTubeチャンネルやSNSで魚をリリースする映像を投稿すると、決まってこのようなコメントをいただくことがあります。
「食べないなら虐待じゃないか」
「命を粗末にするな。もったいない、食べれば美味しいのに」
正直に言えば、「釣れた魚をどうしようが個人の自由だろ!」と返したくなる瞬間もあります。しかし、それでは感情論のぶつかり合いで終わってしまいます。なぜ僕は、20年以上必死に釣りをしてきた末に、今「基本すべてリリース」というスタイルに行き着いたのか。そこには、単なる「優しさ」や「余裕」ではない、「資源に対する論理的な考え方」と、「家族との時間を大切にする釣り人のエゴ」がありました。
1. 魚は「自分のもの」か、それとも「みんなのもの」か
まず、この議論が噛み合わない最大の理由は、「釣りの目的」の前提が違うことにあります。イート派の方にとって、釣りは「食材を得るための手段」であることが多いです。一方で、僕にとって釣りは「自然との触れ合い」であり、そのプロセスを楽しむこと自体が「目的」です。
ここで僕が大切にしているのは、「自分が育ててもいない野生の資源を、勝手に自分の所有物にしていいのか?」という視点です。僕は、海にいる魚という資源は「みんなのもの(公共財)」であり、ひいては自然や国のものだと思っています。自分のものにしたい、あるいは食べたいのであれば、正当な取引(市場や魚屋で買うこと)で手に入れればいい。この「公共資源を預かっている」という感覚が、僕のリリーススタイルの根底にあります。
2. 僕が設定している「2〜3kgの枠」という考え方
よく「リリースするのは心に余裕があるからでしょ?」と言われますが、実はむしろ逆です。僕はもっと必死に釣りをしていたいから、リリースを選んでいます。20年の経験から、僕の中には持ち帰る魚の重量に「1日2〜3kgまで」という上限設定があります。そもそも必要な量はゼロであるため、0〜3kgの中に収まるように気をつけらという話です。2〜3kgの根拠は単純に我が家で食べるのに十分すぎる量だからです。
もし釣れたそばからキープしていけば、わずか数匹もしくは1匹でその枠は埋まってしまいます。そして枠が埋まれば、その日の釣りは「強制終了」です。「いかにリリースできる個体を逃がし、この2〜3kgの枠を空けたまま、1日中釣りをし続けるか」。1匹でも多く、1分でも長く魚と向き合っていたい。その飽くなき探究心を叶えるための手段が、皮肉にも「リリース」なのです。
3. 「パパの釣った魚が食べたい!」家族とのバランス
とはいえ、僕も100%頑固にリリースを貫いているわけではありません。そこには、僕を海へ送り出してくれる「家族」の存在があるからです。
普段はリリース派の僕ですが、妻や2人の子どもたちから、「パパ、今日はパパのお魚が食べたいな」なんてリクエストをもらった時は、キープに切り替えます。この時ばかりは、僕の「リリースの哲学」よりも、「家族の笑顔」が優先です。自分で釣った新鮮な魚を囲んで、子どもたちが「美味しい!」と食べてくれる。それは釣り人として、そして父親として最高の幸せな瞬間でもあります。大事なのは、「自分の家庭内で食べきれない量を乱獲しないこと」、そして「必要最低限の量を数値化、管理した上で感謝していただくこと」だと考えています。
4. 日本特有の「食べないといけない圧」と世界のスタンダード
日本で釣りをしていると、「小さくても食べれる」「供養のために食べろ」という独特の圧力を感じることがあります。これは、日本の歴史的な背景が影響しています。古来より、日本では釣りは「漁(いさり)」という食糧確保の手段でした。そのため「食べられるのに利用しないのは損だ」という考え方が根強く残っています。
しかし、欧米などに目を向けると、釣りは「スポーツフィッシング」として確立されており、リリースは「資源を守る紳士的なマナー」として称賛されます。僕は、魚を食べるなら「旬のベストコンディションの魚」を、あるいは「適切に管理された養殖魚」を食べるのが一番効率的で、自然への敬意だと考えています。旬以外の時期に無理に持ち帰るより、一旦海に戻して「また旬の時期に会おう」と考えるほうが、よっぽど先の未来を見据えた合理的な判断だと思いませんか?
5. グラデーションの中にある「自分の矛盾」を認める
ここまでリリース派の主張をしてきましたが、僕も完璧ではありません。ルアーを丸呑みして出血が止まらない個体や、深場から上げてきて自力で海に戻れない個体に出会うこともあります。そんな時は、僕も責任を持って持ち帰り、命をいただきます。ここで「資源循環のために海で死なせるべきか」という理論と、「せっかくの命を無駄にしたくない」という情の間で、今でも矛盾に悩むことがあります。釣り人のスタイルは0か100かではなく、その間の「グラデーション」の中にあります。
結論:正義を押し付けず、それぞれのスタイルを尊重しよう
イート派もリリース派も、根底にあるのは「魚が好き」「釣りが好き」という純粋な気持ちです。相手のスタイルを「虐待だ」と叩いたり、「乱獲だ」と蔑んだりするのは、もうやめにしましょう。
僕はこれからも、「海を豊かに保ち、家族を大切にしながら、一生釣りをし続けるため」に、胸を張ってリリースを続けていきます。20年後も、今と変わらず子どもたちが釣りを楽しめる海を残すために。皆さんは、どんな想いで魚と向き合っていますか?
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